札幌ビール園「冬」です。【札幌観光貸切チャータータクシー】
札幌ビール園「冬」です。【北海道TAXIトラベル(株)】
今日のディナーは、札幌ビール園、雪が積もった札幌ビール園も最高です。😃✌
北海道を形どったジンギスカン鍋に野菜とラム肉を乗せて焼きます。
ジンギスカン鍋
ビールと言えば、つぎに思い浮かぶのは、ジンギスカン鍋です。お花見・運動会・海水浴など、野外が人で集まると、ジンギスカン鍋を囲むというのが、北海道方式なのです。
羊の肉とモヤシ・タマネギ・ジャガイモ・アスパラなど、いろいろな野菜をカブトを型どった鉄鍋で焼き、特製のタレを付けていただくのが一般的です。
(ところによっては肉をタレに漬けこんだ物を焼いていただくのもあります。)
もともとは、中国のカオヤンローというお料理からヒントを得たもので、これが戦前、満州にあった農事試験場で、ジンギスカンと名を変えて、(名付け親、駒井徳三氏)昭和の始めころ北海道へ入ってきたといわれています。
は~い カンパーイ🍻🍺
札幌の四季
札幌の四季を簡単にご紹介します。
1年中で最も寒い1月中旬、雪まつりの雪像づくりが始まり、スキージャンプ大会も相次いで開催されます。
そして、2月5日~11日までは、いよいよおなじみの雪まつりです。
札幌の雪解けは3月の末、5月の始めにはモクレンにも似たコブシの花が咲き、続いてサクラ・ウメ・ツツジなどが一斉に咲き出します。カッコウが鳴くのもこの頃です。
薄紫と、白いライラックの花が、札幌を包むのは5下旬、6月には、アカシアの甘い香りが街中に漂います。
太陽がぎらぎらと照り付ける暑い夏を味わえるのは、7月上旬から8月中旬のわずかの間です。
週末には花火大会が行われ、大通公園に繰り広げられるビアガーデンなどは、短い夏を惜しむかのように、夜遅くまでグラスの音が響きます。
秋はリンゴにブドウ、そして、トウモロコシがおいしくなる季節です。
9月の声を聞くと、もう近郊の山々が色づきはじめ、10月下旬には、手稲山の頂に初雪がふり、そして、11月寒さが厳しさを増してきて、平地の街にも初雪が舞います。
豊平川の水も冷たくなって、サケが帰って来るころは、朝夕の冷え込みもグッと厳しさを増してきます。
やがて12月、冬将軍が、足早に近づいて、雪と氷の世界に包みこまれます。
外は冷たい風と真っ白い雪の覆われていても、家の中は暖房で温かいのも北海道の特徴です。
そして、スキーにスノーボード、スケート、雪まつりと、長い冬をエンジョイしながら春を待つのです。
道路の除雪も行き届き、スタッドレスタイヤのおかげで、雪の白さや青さが戻り、冬の暮らしがより過ごしやすくなりました。冬が長ければ長いほど、寒さが厳しければ厳しいほど、春への夢は大きく膨らみ、その喜びもまたひとしおです。
札幌ビール園
長い歴史を誇るサッポロビール園は、明治9年、開拓使のビール醸造所(開拓使札幌麦酒醸造所)として誕生したもので、国産ビールとしては、日本で初めて売り出されました。
明治の初め、政府はみずから工場をつくって、産業の発展に努めました。
北海道では、みそ・醤油・鮭鱒の缶詰など、いろいろな官営工場を設け、ビール醸造所は、外国人の指導でつくられた官営工場の1つでした。
その証拠が、おなじみの星のマークです。これは、道庁赤レンガにも見られる、北極星(五稜星)を表した開拓使のマークなのです。
そのころのビールのお値段は、アメリカやイギリスの外国産ビールが大瓶(590ml・現在は633ml)1本17銭から25銭くらい。
これに対して、開拓使の作ったビールは16銭と安く、政府もこれには税金をかけなかったといいますから、十分、外国産ビールと競争が出来たそうです。
そうはいっても、お米1升が7銭、2DKほどの貸家が8銭という時代でしたから、一般庶民にとっては高嶺の花、しかも、あのホップのホロ苦さが、口に合わなかったようで、開拓使も「胃腸に効く健康飲料」のキャッチフレーズでPRをしておりました。
それから10年後、ビール醸造所は民間に払い下げられて、明治20年札幌麦酒会社として生まれ変わりました。
この会社のシンボルというべき、レンガづくりの工場がつくられたのは、明治36年(明治23年に、札幌製糖会社の工場として建築)のことです。
現在は、明治時代の代表的な建造物として、当時の面影を伝えており、ビール博物館やビアホールなどのある、札幌ファクトリーとして生まれ変わり、札幌の新名所になっています。
ビール博物館には「麦とホップを製すれば、ビールという酒になる」と書いた、ビール樽のならぶ、醸造所開業式の写真をはじめ、創業当時の醸造技師中川清兵衛が、ドイツティホリー醸造所から贈られた免許状、明治・大正・昭和にわたるポスター・ラベル・ジョッキなど700点あまり展示されております。