
[小樽市観光タクシー]札幌小樽観光タクシーの[小樽運河観光タクシー]
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小樽運河、大正12年、9ヵ年かけて埋め立てて完成したもので、小樽の全盛時代には、海と陸をつなぐパイプ役として、大きな使命を果たしていました。
しかし、今では、港の近代化と、荷役の機械化によって、その役目も終わり、周りの石造倉庫とともに、当時の面影を伝えております。
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小樽運河
埋め立て式運河
運河というと、一般的には陸地を掘った水路と考えますが、小樽運河は掘り込み式ではありません。
海岸から一定距離の海面を残し、その先を埋め立てるという物です。
その結果できた水路で、埋め立て式運河と称されました。
明治になって小樽の海岸は堺、港、色内、南浜と次々埋め立てられ行きました。
その先の海面埋め立ては明治32年(1899年)以来、事業主体や計画などをめぐっていろいろともめ、道庁から最終時に許可されたのは明治41年でした。
この時の計画は、埠頭岸壁方式でした。
さて、いざ着工の段階になりましたが、今度は起債が思うようにつきません。
スタートを一年延期しているうち、明治42年7月、欧米の港湾視察から帰国した広井勇工学博士が「小樽の場合、貨物の種類、荷造りなどからみて、埠頭岸壁式より、ハシケを利用する運河方式の方が良い」との意見を発表します。
広井勇氏はこれより一年前、小樽港北防波堤を築造、完成させ、東大教授という権威者でした。
港湾の神様の意見により、新しい埋め立て計画は埠頭岸壁式から埋め立て式運河へ、大きく転換することになりました。

