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函館・クリスマスファンタジーです。

[函館観光タクシー]札幌小樽観光タクシーの[函館クリスマスファンタジー観光案内]

2016-12-21 19:51:43 | 函館市

函館観光タクシー・ジャンボタクシー、北海道小樽観光タクシー高橋の函館クリスマスファンタジー観光案内です。


函館クリスマスファンタジーの会場に来ています。巨大クリスマスツリーに14万8千球で彩ります。

此は凄い❗お客さんも大感激でした。😃✌🚖🚖🚖


此はまだ点灯してないクリスマスツリーです。


函館市の歴史

函館の「函」の字は、明治になってから改められたもので、それまでは箱根の「箱」という字を使っておりました。

今から550年ほど前、このあたりの豪族だった河野政通が、函館山の麓に館を築いたとき、その館が、箱のような形に見えたところから、「箱の館」箱館と呼ぶようになったといわれています。

江戸時代には現在の松前、当時は福山といっていましたが、この福山に本拠を構えていた、松前藩の番所となり、江差や福山とならぶ「松前三湊」の1つとして栄えました。

江戸時代も後半、幕府が松前藩にかわって、直接蝦夷地をおさめることになり、この函館に奉行所を設けました。

千島列島ぞいに、ロシアの勢力が南下しはじめ、いろいろな事件が起こるようになったからからです。

伊能忠敬が蝦夷地を測量したり、高田屋嘉兵が、択捉島への航路を開くなど活躍をしたのは、ちょうどこのころです。

こうして、蝦夷地の中心となった函館は、急速な発展を遂げ、安政2年(1855年)に、外国船が使う薪や水、食糧などの供給地として港を開き、続いて、4年後の安政6年には、長崎・横浜とともに、日本初の貿易港となってからは、外国船の往来がはげしくなり、領事館も置かれて、多くの西洋文化が流れ込みました。

函館奉行も、積極的にこれを取り入れて、諸術調所という、研究教育施設をつくって、新しい知識を勉強しようとする、若者達の要求に答え、医学所をつくり、中川五郎治に、日本で初めての種痘を行わせたりしています。

やがて明治維新をむかえ、新政府は、函館奉行の仕事を受け継いで、北海道開拓の計画を進めました。

しかし、このとき、榎本武揚の率いる幕府脱走軍が五稜郭を襲い、箱館戦争がおこります。

明治元年から明治2年かけてのことでした。

その後、政治の中心は札幌に移ってしまいましたが、北海道の海の玄関口として、重要性は変わることなく、今日まで発展を続けてきました。


16時30分クリスマスツリーが点灯しました。😃✌

クリスマスツリーの周辺のイルミネーションもとっても綺麗です。👍

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