マッサンのニッカウィスキー余市工場見学は北海道TAXIトラベル(株)へ!!
マッサンのニッカウヰスキー余市蒸溜所です。
ニッカウヰスキー北海道余市原酒工場
石造りの建物はニッカウヰスキー北海道余市原酒工場です。
遙か離れた異国・スコットランドを偲ばせる建物の風情は、スコッチウイスキーに匹敵するウイスキーを日本で初めて誕生させた記念すべき所です。
工場の敷地面積は15haと広く、ウイスキーが出来るまでの様々な工程が石造りの建物の中に配置され、中でも発芽した大麦をピートの煙で燻し乾燥させるという独特な方法が採られている事は、この工場ならではの方法です。
ピート(草炭)とは、北の湿地帯に無尺蔵に推積しているもので、イギリスのスコットランド、そしてこの北海道の大地に長い年月の間に植物群が堆積し、何時しか炭化しピートとなりました。
このピートこそ、ニッカの工場が北海道に建設された大きな要因でもあります。
此れに目を付けたのがニッカの創設者「竹鶴政孝」その人です。ピートは無論の事、気候風土、そして「水」そのものがスコットランドに匹敵し、ウイスキーを作るなら「北海道」と心に決めて昭和9年、大日本果汁(現在のニッカウヰスキー)を創設したのです。
上の写真はニッカウヰスキー北海道工場です。
ウイスキーのモルト、すなわち原酒を作っているところです。お酒は、お水と気候の良いところに美味しいものが生まれるといいますが、余市は三方が山、一方は海に囲まれ、余市川の清流と、澄んだオゾン、温度・湿度など、スコッチの本場、スコットランドそっくりなのだそうです。ニッカウヰスキーの生みの親は竹鶴政孝さんですが、竹鶴さんは、スコットランドで醸造学を勉強、帰国後、入社した寿屋(現在のサントリーウイスキー)で、昭和4年、国産第一号のサントリーウイスキーを誕生させました。その後独立して、かねてから白羽の矢を立てていた余市に工場を建て(昭和9年)、リンゴジュースなどを作りながら、ウイスキーの熟成を待ち、ニッカウイスキーを世に送り出したのは、昭和15年のことです。なお、ニッカの名前は、以前の会社名、大日本果汁の略、大日本の「日」と、果汁の「果」からとって[ニッカ]と名付けたということです。