
[富良野市・麓郷観光タクシー]札幌小樽観光タクシーの[富良野市・麓郷展望台観光タクシー]
おはよう御座います。👋😃☀
昨日最後に行った、麓郷展望台です。
ラベンダーや、じゃがいもの花が咲いていました。
展望台からの眺めも最高😃⤴⤴🚖🚕🚖

麓郷
麓郷市街地はTVどらま「北の国から」で有名になりました。
この街は十勝連峰の東側に聳える「大麓山(11459m)」の麓に位置する事から「麓郷」という地名が付けられたようです。
大麓山の名は東京帝国大学の総長・菊池大麓が明治32年演習林創立にあたって、演習林に御出でになったことを記念して、命名したと伝えられています。
この麓郷から布礼別に掛けて昔は東大の所有地でした。
ここから少し進みますと、麓郷の周囲は現在も東大の演習林で、森林がはたす役目と地球環境への影響、動植物のなりわい、林業に関する研究を明治以来続けている機関です。


ラベンダーはどうして有名に?
何ゆえラベンダーがこれほどまでに有名になったのでしょうか。
それは昭和50年~51年、2度にわたって国鉄のカレンダーに、ラベンダー畑が掲載されたことでした。
そのカレンダーに載ったラベンダー畑は、まぎれもなく「ファーム富田」だったそうです。
なだらかな斜面を覆う紫色の花のジュータン、匂うばかりの美しさに魅せられてか、以来、ファーム富田のラベンダー畑を一目見ようと、訪れる人は次第に増えていきました。
しかし、皮肉なもので、農業として成り立たなくなった頃から、ラベンダーの花畑は人気出始めたのです。
当の富田さん「今年でこのラベンダーも最後かも知れません。いい写真を沢山とって下さい。」などと、カメラマンや旅行者の方々にふと、もらしていたくらいでした。
「ラベンダー畑をつぶさないで作り続けてほしい」とか、「なぜ、止めるのですか」とか、質問攻めにあった事もあるそうです。
しかし、この頃は香料をとる目的で栽培していたラベンダー作りは、限界にきていたのです。
そんな中にも毎年、かれんだーや雑誌にラベンダーは掲載され、花の時期になりますと年毎に訪れる人の数は確実に多くなってきました。
富田さんは心からラベンダーを愛する気持ちから、その後も苦しいながらもラベンダー農家として栽培を続けました。
その内、観光客も増える、珍しさも手伝って仕事中にも質問されるので、農作業に支障が出るようになったのです。ラベンダーは刈り取る時期を外すことは出来ません。
かと云って花を見に来てくれたひとにも見せてあげたい。気持から一計を案じました。
それが次の内容を書いた掲示板だったのです。
「このラベンダーは人に見て頂こうと思って作っていた花ではないのです。私達家族の希望だったのです。ここ数年、世の中は変わってラベンダーはもう要らなくなりましたが、どうしてもつぶしてしまうようなことは出来ませんでした。苦しいいなかにも、この花の紫と爽やかな香りは私達に幸せを感じさせてくれました。北海道の冬はマイナス30度になります。そんな厳しい風雪に耐えてきたラベンダーです。どうかあたたかい気持ちで見てやって下さい。」と書いて畑の一角に立てたのです。
その後も様々な方があいもかわらず富田さんの畑を訪ねては写真を撮り、花に見入って感動を胸に秘めながら大勢の人達が帰っていきました。
そんな中に原産地の南フランスでラベンダーをみたことのある人が、「畑をつぶさないで、頑張って下さい!」
と励ましてくれ、ポプリやサシェ(匂い袋)の作り方を教えてくれたりと、富田さんのラベンダー作りに声援を送ってくれる人が増えていったのです。


東大演習林の面積は23000haと広く、クマ・鹿・クマゲラなど、鳥や獣たちの楽園として保護区に指定されています。
この麓郷から東大演習林に続く峠道がありますが、「西瓜峠」と申します。
西瓜峠は道道が完成する前は西達布と麓郷を結ぶ唯一の道で、演習林の中の峠道です。
演習林長・川瀬善太郎博士が林内の視察に来られ、地引平保護所主任(西達布)がお供して麓郷へ山超えすることになりました。
残暑の厳しい日で、峠にさしかかるころ、林長が水が欲しいと申しましたので、地引氏はタイミング良く持ってきた西瓜を割って差し出しました。
いつしかエピソードとして語られ、「西瓜峠」と呼ばれるようになったそうです。







