北海道網走市南3条東4丁目5-1に有る、道の駅流氷街道網走へ行って来ました。
網走市に有る、オホーツク海と知床を望む観光と交流の拠点です。
道の駅流氷街道・網走です。
網走のカモメが飛びかい、網走の漁船が行きかう網走川河口に位置し、オホーツク海や知床半島を一望出来る道の駅「流氷街道網走」観光情報を始めとした地域の多様な情報発信や、地元網走の農水加工品の販売などを行っており、冬期間は網走流氷砕氷船「おーろら」の発着場所として流氷観光の拠点にもなります。
網走市に有る、網走帽子岩です。
アイヌ語で「チパ・シリ」(幣場のある島)と呼び、アイヌの人達の祭壇でした。
アザラシ狩りや漁に出る時には、必ずこの岩の前で、安全と豊漁を祈っていたそうです。
網走の語源はこのチパ・シリがもとだと言われております。
北海道の地名
北海道には面白い地名がたくさんあり、そのほとんどはアイヌ語がもとになっています。
例えば「長・万・部」と書いてオシャマンベ、「美しい唄」と書いてビバイなど、数え上げたらきりがありません。
こういった呼び方を調べていくと、アイヌの人達がどれほど自然をよく観察して、地名をつけたのかが解ります。
そこが乾いた広いところなら「乾いた広い所」と呼び、河口が滝になっている川なら「出口が滝の川」と呼んで、よけいな形容詞をつけたりはしません。
小さなグループ生活を営んでいたアイヌの人達にとっては、そのグループだけがわかる、簡単な呼び名をつけただけで十分だったのでしょう。
今も残るアイヌ語の地名から、かつてのアイヌの人達の生活文化や自然の状態がわかるということは大変貴重なことだと思います。
ところで「北海道」の名付け親は松浦武四郎ですが、北海道の由来もアイヌ語から来ています。明治2年、新政府は「エゾ」を「北海道」に改めましたが、これは幕末に数回にわたって北海道を探検し、アイヌ民族にも深い理解を持っていた武四郎の考えが採用されたのです。
武四郎は「日高見」「北加伊」「海北」「海島」「東北」「千島」の6つの原案から「北加伊」を取り上げましたが、その理由は「アイヌ民族は自らの国をカイまたはカイノーと呼んでいた・・・」というのがヒントになったそうです。
また、「北加伊」が北海道に変わったのは、おそらく平安時代に全国を区分した名称の「東海道」や「東山道」などからきているのではないかと言われています。
北海道の地名はアイヌ語がもとになっているものが多いことはご紹介した通りですが、「北海道」もその仲間であることは余り知られておりません。
何故なのか、道の駅流氷街道網走へ来る、お客さんが皆さん、スマホのカメラに撮っていた、マンホールです。
私も、マネして、撮って見ました。(^O^)v