積丹半島神威岬・神威岩・ソーラン節観光TAXIcoures【積丹半島での観光TAXI】
札幌・小樽発~積丹半島神威岬~神威岩~ソーラン節フリーPlan観光TAXIcoures
積丹の漁港
積丹町には7つの漁港があります。かつてニシン漁で栄えた時代を背景に、現在もなお忙しく出船入船が昼夜をとわず行きかう様は、何時見ても活気がみなぎって力強い風景です。先祖代々受け継いで来た漁業を今も続ける漁民たちの顔は自信に溢れ、つくづく男の仕事場という感じがいたします。
ニシンに去られてもなお、ここに留まって先祖の残した足跡を消す事なく、積丹の海を守り続けている人々の姿は美しく、明るく前向きに時代を見据えて漁をしているのでしょう。
日本海の荒波が始まり、青葉の茂る5月を迎えると浜はヒラメ漁が始まります。
6月はウニ漁、7月はイカ漁の季節、このイカ漁が始まると遙か沖に点々と灯りがともり、まるで不夜城といった光景がみられるのです。イカ漁ならではの光景は秋に入っても続きますが、やはり秋と言えばサケ漁と相場は決まっていて、大掛かりな漁が展開されます。漁民の仕事はこれで終わらず、凍てつく寒い冬も「スケソウ漁」が待っています。スケソウダラ(スケトウダラ)は蒲鉾の原料であり、紅葉子・明太子の原料となる腹子はこのスケソウの子なのです。
こうして日本海の豊かな恵みを追って、今日も多くの船が浜に、海岸に、沖に出漁して、私達の食卓にいつも新鮮な海の幸を届けてくれるのです。
上の写真は、積丹神威岬の先端にある積丹神威岩です。
積丹神威岩の伝説、積丹神威岬にまつわる悲しい恋の伝説です。
兄頼朝の追手をのがれて、蝦夷地にわたった義経は、日高のアイヌコタンに滞在し、いつしかコタンの娘、チャレンカと恋仲になりました。
しかし、大きな望みをいだく義経のこと、別れも告げず、ひそかに旅立ってしまったのです。
これを知って驚いたチャレンカは、あとを追って、ようやく積丹神威岬まで来ましたが、ときすでに遅く、義経一行は帆をあげて船出したあとでした。
チャレンカは遠ざかる船に、声の限り叫び続けましたが、むなしく波の音に打ち消されるばかり・・・。
ついに悲しみと恨みを残して、崖の上から身をおどらせてしまい、積丹神威岩になったといい、それ以来、和人の船が、女性を乗せてこの岬を通ろうと、暴風雨がおこり、船の進むのを邪魔しますので、これはアイヌ娘の恨みと呪いによるものだろうと、語り伝えられています。
神威岩の伝説をご紹介しましたが、これは、和人の奥地定住をきらった松前藩が、女人禁制の政策を進めるために作った物語だろうと言われております。
積丹[ソーラン節]
この積丹は、そのむかしニシンで明け、ニシンで暮れたところです。
そして、ニシンとは切り離せないものの1つに、積丹ソーラン節があります。
積丹ソーラン節は、ニシンをとるときに使われた建網の作業唄ですが、その発祥地がどこなのかは、はっきりしておりません。
余市にソーラン節発祥記念碑、積丹町美国にはニシン場音頭記念碑があり、江差地方では江差で生まれたといっております。
この積丹地方のお話をご紹介しますと、積丹美国場所の請負人、岩田屋金蔵の使用人に、南部地方(岩手県)出身の金次という人がいました。
その金次は大変な美声の持主で、ニシンの枠網から、大タモでニシンをくみ上げるとき、金次がすかさず入れる「合の手」と「即興の唄」は、激しい労働で、疲れきった漁夫たちの志気を奮い立たせたと言います。
そして、このヤーレンソーランのはやしとアドリブに富んだ作業唄が、やがて、漁夫とともに、全道のニシン場へ流れていったと伝えられています。
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