積丹半島余市町原発防災訓練です。
積丹半島余市町原発防災訓練の様子です。
積丹半島泊村の原子力発電所防災訓練
積丹半島の入口に有る、スペースアップル余市に来ました。此方も防護服を着た人達で、いっぱいです。
自衛隊の皆さんが防護服を着て、除染の訓練をしていました。
積丹半島の各地域、古平町や積丹町、神恵内村の皆さんがバスで余市町まで避難訓練していました。🚕🚖🚕
避難訓練に参加された皆さん大変御苦労様でした。
リンゴとウイスキーの町、余市町です。
ここ余市町は、気候風土に恵まれ、古くから先住民族が住んでいました。
フゴッペ洞窟やストーンサークルなども残っております。
和人の歴史は、今から400年ほど前の慶長4年(1599年)、松前潘が、アイヌの人達と交易をする場所として、フゴッペ場所、モイレ場所を設けたのがはじまりで、長い間、ニシンの千石場所として栄えました。
その後、明治4年、会津などから開拓者が入植して、農業も営まれるようになり、中でもリンゴの栽培は、全国でも、いち早く行われたところです。
現在は、沿岸漁業や水産加工に力を入れ、果樹栽培もリンゴ・ブドウ・メロンなど、バラエティに富んでいます。
ニュートンの林檎の木
ここ余市町にニュートンのリンゴの木があります。
全道でも珍しく限られた所にしか有りません。
その一本の木がこの余市町に有るのです。(現在は接ぎ木し、育てたものが有りますので一本とは限りません。)
平成4年の春、この町の黒川小学校で空知管内の深川市から接ぎ木した苗を譲り受け、学校の校庭に植えたもので、以来児童達が一生懸命面倒を見ております。
黒川小学校は宇宙飛行士・毛利衛さんの出身校で、この年の9月12日に宇宙へ旅立ち世界のヒーローとなりました。
飛行中の実験の一つに無重力の中でリンゴを扱うシーンが有りましたが、そのリンゴは故郷・余市産で、それと共に母校・黒川小学校の後輩達と宇宙教室を開き、全国の電波で実況中継されました。
そもそも今から約280年ほど前、イギリスの物理学者・ニュートン(1643年~1727年)はリンゴの木から実が落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したお話は余りにも有名ですが、偶然、このリンゴの木をイギリスの国立物理研究所で、接ぎ木を重ね大事に保存していたのです。
昭和40年頃、東大の名誉教授・柴田雄次氏が苗木を譲り受け、東大の物理学部付属植物園に移植しました。
深川市はリンゴを手掛けてから90年を迎えた事を記念してリンゴ作りのシンボルにしたいと言う思いで、昭和57年北大農学部を通じて同植物園から苗木を譲って貰い、リンゴ園を経営している深川市音江の小森正規さんに依頼して、小森果樹園に植えたという経過を辿ったのが「ニュートンのリンゴの木」なのです。
ところがこの話を耳にした黒川小学校では、毛利衛さんの宇宙飛行という歴史に残る体験を通して、子供達に、リンゴ発祥の地・余市に対する郷土愛と科学への興味を育てようと考え、この年の2月深川市に依頼したところ快諾され、10本の枝と5月には約3mに成長していた苗木をプレゼントしてくれたのです。
苗木は学校の正門のすぐ横の庭園に移植され、10本の枝は町内の果樹園・吉田初美さんがハックナイン等の台木に接ぎ木して育て、その内の5本が校庭に移植されたという事です。
苗木で植えた木はその年の秋に10個程の実を付け、宇宙の旅から戻った毛利衛さんが同年10月に帰郷した折り、この内1個がプレゼントされたと逸話が残されております。
ニュートンの万有引力の発見から280年の後、その法則がリンゴを通して確かに証明された宇宙からの映像は、科学を平和利用している素晴らしさではないでしょうか。