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小樽運河です。

[小樽観光タクシー]札幌小樽観光タクシーの[小樽運河観光案内]

2016-11-13 09:59:13 | 小樽市

小樽観光タクシー・ジャンボタクシー、小樽観光タクシー高橋の小樽運河観光案内です。


小樽観光タクシー・ジャンボタクシー高橋の小樽運河観光案内、大正12年、9ヵ年をかけて完成したもので、小樽の全盛時代には、海と陸をつなぐパイプ役として、大きな使命を果たしていました。

しかし、今では、港の近代化と、荷役の機械化によって、そね役目も終わり、周りの石倉庫とともに、当時の面影を伝えております。

小樽運河、長さ1140㍍幅は埋め立てた所が20㍍、埋め立てていない北側の北運河が40㍍です。🚕🚖🚕


小樽運河

大正3年~大正12年、約10年掛けて埋め立て完成しました。

完成当時は長さ1324m幅40mでしたが道路を造るのに埋め立てられて現在は長さ1140m幅20mです。

港のさらなる発展をめざした埠頭の建設

北海道の開拓が進み、産業の復興は小樽港の整備を待ってはくれませんでした。

運河が完成した大正12年(1923年)の翌年大正13年(1924年)には、入港船舶隻数は6248隻を数え、取扱貨物量は250トンを数えました。

その結果、貨物の積み降ろし、燃料の石炭の搬入、蒸気機関のボイラー用水や、飲料・生活水の供給を全て艀で行うことは効率が悪く、増大する船舶量に応えることが難しくなってきました。

また、艀による荷役は天候に左右されるので、改めて埠頭岸壁式の港づくりが求められました。

小樽運河が完成した大正12年(1923年)、増大する貨物量に対応するために、埠頭を建設することの許可申請がなされています。

その後、昭和2年(1927年)から、の北海道第二期拓殖計画の中で、小樽港の岸壁・埠頭施設の整備が盛り込まれ、北海道初の突堤式の公共埠頭が建設されることとなりました。

昭和7年(1932年)、立岩から勝納川に至る約1310mの海岸埋め立てが竣工します。

そして、延長352m、水深6.6mの堺町岸壁が完成しました。

続いて、昭和9年(1934年)には延長212m、水深7.4mの厩岸壁が完成します。

厩町の埋め立てでは岸壁以外の施設が築造されたほか、小樽港で待望された船舶修理場などの施設も設備されました。

堺町、厩町の両岸壁が完成したことで、2000トン~3000トン級の船舶が直接接岸できるようになり、樺太航路などで利用されました。

昭和10年(1935年)には突堤式の第一号埠頭の建設が始まります。

1万トン級の船舶と、6000トン級の船舶が係船できるバース(船舶係留場所)が設けられました。

埠頭の面積はおよそ3万8000㎡。

幅員127m、長さ右310m、左293mで、総工費はおよそ99万円でした。

昭和12年(1937年)には、第二号埠頭が、昭和15年(1943年)には第三号埠頭の建設が始まりましたが、第二次世界大戦の影響で昭和18年(1943年)までに工事は打ち切られました。

大正11年(1922年)には、小樽港から運び出される石炭は年間百万トンを超えるようになり、手宮駅構内の既存施設からでは石炭の積出が間にあわなくなってきました。

大正15年(1926年)、鉄道省は小樽港の海陸連絡設備の根本方針と具体案を決定しました。

それは、勝納川、若竹町の埋め立てを進め、貯炭場、貯木場を建設するほか、岸壁を整備すると共に、長さ170m、幅18m、水深8.5mの石炭船積み桟橋を建設する計画で、7000トン級の船舶を係留して荷役を行うことで、石炭を年間365万t、木材を28万t、雑貨4万6千tを扱うというものでした。

工事は昭和2年(1927年)に始まり、昭和11年(1936年)に東洋一といわれた近代的な石炭荷役施設が完成しました。

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