北海道『小樽オルゴール堂』です。【小樽札幌Sightseeing TAXI】
『小樽オルゴール堂』です。【北海道小樽札幌Sightseeing TAXI・ジャンボTAXI】
小樽オルゴール堂(旧共成)沼田喜三郎、天保5年(1834)越中西砺波郡津沢生まれ。
明治15年(1882)48歳で来道。稲作技術が未熟な北海道に注目し、精米事業を企てました。
オコバチ川沿いにいくつか既存の精米用の水車がありましたが、積雪期には機能していませんでした。
ここで上から水をかけることによって機能させることを思いつき事業をおこし、明治24年(1891)に共成株式会社をおこし、東京以北最大の規模を誇るようになりました。
また、明治30年(1897)には菜種油を製造する小樽製油株式会社を立ち上げて製造業にも着手しています。
さらに明治26年(1893)には開墾委託株式会社を立ち上げ5ヶ年で石狩平野の三千八百町歩の土地を開墾しています。
雨竜郡の沼田町は沼田喜三郎の偉業を偲んでつけられています。
現在の小樽オルゴール堂の建物は明治45年(1912)に共成株式会社として建てられますが、既に沼田の経営ではなくなっており、大正8年(1919)には寿原の経営になっています。
オルゴール日本での歴史
オルゴールの語源はオランダ語のオルゲル(orgel)から転化したものです。
日本では「自鳴琴」の字をあてはめていました。
嘉永5年(1852年)に見世物として江戸深川中町で披露され、文久年間(1861年~1864年)には時計師小林伝四郎が日本の曲譜に合わせたオルゴールを製造しています。
小樽とオルゴール
「オルゴールの栄枯盛衰の歴史が、小樽の歴史とオーバーラップし、さらにレトロな町並みに最も似合う音色」という直感をもった人々(小樽オルゴール堂・海鳴楼など)が、小樽にオルゴール市場を形成してきました。
硝子・寿司と並んで小樽観光の御三家と称されるまでになったオルゴールは、現在、小樽での「「ものづくり化」に向けて、重厚な観光産業の蓄積を目指して歩み始めています。