別海町十景 新酪農村展望台です。

北海道TAXIトラベル㈱ 高橋の別海町に有る新酪農村展望台です。
酪農日本一の広大な別海町を実感できる展望台です。
周り一面に広がる緑の大地と大規模な新酪農村の景観360度の大パノラマが広がります。
晴れた日には、風蓮湖や阿寒、知床連山を望むことが出来、一段とその広大さを実感出来ます。
別海十景の一つであるこの展望台に是非登って見て下さい。
別海町
別海町、その大部分がほぼ平坦な根釧原野の中にあり、町村としては十勝の足寄町(1400平方㎞)に次いで、別海町は、全国で2番目に広い町です。
別海町の面積は1320平方㎞、大阪府の面積が1860平方㎞ですから、いかに広いか、おわかり頂けると思います。
ただし人口は、1万7000人たらずですから別海町の市街地を離れますと、10数キロの間は人家もなく、見えるのは牛ばかり・・・といった、いかにも北海道らしい風景が続いています。

エゾ鹿
北海道の鹿はエゾアカシカといい、角の長さも体重も、本州の鹿にくらべ、はるかに大きいようです。
北海道のエゾシカの事を、アイヌ語で「ユク」といいこれは同時に「獲物」のことも意味していました。
アイヌの人達が、長い間、自給自足の生活を続ける事が出来たのも、数多くいたエゾシカのおかげと言われ、シカはアイヌの人達の大切な食糧だったのです。
このようなエゾシカの楽園も、明治12年の1月~2月にかけて大雪に見舞われ、その間に、雨も降って、雪の表面が凍りついたため、雪を掘って笹などを食べていたシカにとって、大変な食糧不足になってしまいました。
山には食べ物がなく、海岸に下りて、わずかに流れついたコンブや、藻をさがす有様で、全滅に近いほど、飢え死にをしてしまいました。
この時シカを食糧にしていたアイヌの人達の間にも餓死する人が大勢でたほどです。
この事があってからシカの数は急に減ってしまい、大正9年には、絶滅寸前になったため、ついに禁猟となりました。
その後少しずつ増えはじめて、最近では、山林や農作物の被害も出るようになりましたので、地域を限り、一定の条件のもとで、オスだけ獲る事が許されています。
北海道の道路の標識には、鹿の絵を描いた「動物注意」や「牛の横断につき注意」といったような面白い道路標識が目につきます。
ところで、こうしてエゾシカの保護につとめて来ましたが、最近、その数が増えて来たため、エゾシカの交通事故やニアミスが起こっています。
平成11年度には釧路支庁管内だけで、約250件のシカの事故が有りました。
エゾシカの体重は約100kg、これがぶつかって来るのですから車は大損害、時には人間も大ケガを負ってしまいます。
しなやかな体、早い足、きびんなシカがなぜ交通事故に会うのでしょうか?事故のほとんどは夜間に起きていますが、道路を横切ろうとしたシカが、ヘッドライトに目がくらんで立ちすくんでしまったり、アスファルトにすべったりするのが原因のようです。
エゾシカの交通事故の多い網走管内の斜里町では、道内ではじめて国道の道路下に「けもの道」作って、事故ゼロを目指しています。