積丹半島~余市~小樽 フリープラン 観光ルートTAXIモデルコースです。
積丹半島~余市~小樽 フリープラン 観光ルートTAXIモデルコースです。【札幌・小樽Sightseeing TAXI・ジャンボタクシー】
積丹半島セタカムイ岩~ローソク岩~恵比寿岩大黒岩~余市南保留太郎商店で甘エビの燻製購入~毛利衛さんの生家余市川温泉宇宙の湯~リタ幼稚園~リタロード~余市ワイナリー~柿崎商店~ニッカウイスキー余市工場~忍路ベーカリーエグヴィヴでパン購入~小樽宿泊ホテルフリープラン観光ツアーモデルコースです。
積丹半島セタカムイライン
余市町から古平町までの海岸をセタカムイラインと呼んでいます。
岬から突きだしたような岩が、その名前となったセタカムイ岩です。
セタとは、アイヌ語で「犬」カムイは「神」という意味です。
アイヌの人達は、昔から、犬の声は悪魔を追い払うものと考え、神様が犬に姿をかえて、自分達を守ってくれると信じていたそうです。
【伝説=源義経が蝦夷を去るとき、可愛がっていた犬を置いていかなければなりませんでした。犬は義経を追って、この海岸まで来ましたが、海にへだてられ、追って行く事ができず、悲しく遠吠えをしているうちに、そのまま岩になってしまったと言う事です。】
(怪獣が首をもたげて波にほえる石像のセタカムイ太古の天を指すローソク岩の海の牙湾深くルリ色の海水をたたえてここ古丹に白鳥のまぼろしを見る)古平の生んだ詩人、吉田一穂はこのように歌っています。
積丹半島ローソク岩
高さ約40㍍、観音様の立ち姿に似ている所から別名、観音岩とも呼ばれています。
ローソク岩アイヌ伝説、昔々、大陸に住んでいた神様が、積丹半島をもぎ取って、自分達の領土にしようとスキをうかがっていました。
あるとき、この神様は、もの凄い大暴風と大津波を巻き起こし、そのドサクサにまぎれて、積丹半島を引きちぎろうとしました。
これを知った北海道の神様達は、半島を渡してなるものかと、嵐の中、太い縄で積丹半島を縛り、その端を、ローソク岩の根元に、しっかりと結びつけました。
このため、大陸の神様も、積丹半島を盗む事が出来なかったと言われております。
恵比寿岩と大黒岩
このあたり積丹半島余市町白岩地区の海岸線の岩壁が白いので余市町白岩と名付けられました。
海の中に二つの岩が有りますが向かって右側鳥居のたっている岩が大黒様の頭巾にみたてて大黒岩、左側恵比寿様の鳥帽子にみたてて恵比寿岩と呼ばれています。
宇宙の湯・余市川温泉
屋上に大きなスペースシャトルが、宇宙に向かって飛んでいる建物が、宇宙飛行士 毛利衛氏の生まれた温泉、余市川温泉宇宙の湯です。
泉質:ナトリウム塩化物・炭酸水素塩泉
泉温:41度
PH:7.3
「美人の湯」の基で有る、メタケイサンが通常の倍以上含まれています。
ニュートンの林檎の木
ここ余市町にニュートンのリンゴの木があります。
全道でも珍しく限られた所にしか有りません。
その一本の木がこの余市町に有るのです。(現在は接ぎ木し、育てたものが有りますので一本とは限りません。)
平成4年の春、この町の黒川小学校で空知管内の深川市から接ぎ木した苗を譲り受け、学校の校庭に植えたもので、以来児童達が一生懸命面倒を見ております。
黒川小学校は宇宙飛行士・毛利衛さんの出身校で、この年の9月12日に宇宙へ旅立ち世界のヒーローとなりました。
飛行中の実験の一つに無重力の中でリンゴを扱うシーンが有りましたが、そのリンゴは故郷・余市産で、それと共に母校・黒川小学校の後輩達と宇宙教室を開き、全国の電波で実況中継されました。
そもそも今から約280年ほど前、イギリスの物理学者・ニュートン(1643年~1727年)はリンゴの木から実が落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したお話は余りにも有名ですが、偶然、このリンゴの木をイギリスの国立物理研究所で、接ぎ木を重ね大事に保存していたのです。
昭和40年頃、東大の名誉教授・柴田雄次氏が苗木を譲り受け、東大の物理学部付属植物園に移植しました。
深川市はリンゴを手掛けてから90年を迎えた事を記念してリンゴ作りのシンボルにしたいと言う思いで、昭和57年北大農学部を通じて同植物園から苗木を譲って貰い、リンゴ園を経営している深川市音江の小森正規さんに依頼して、小森果樹園に植えたという経過を辿ったのが「ニュートンのリンゴの木」なのです。
ところがこの話を耳にした黒川小学校では、毛利衛さんの宇宙飛行という歴史に残る体験を通して、子供達に、リンゴ発祥の地・余市に対する郷土愛と科学への興味を育てようと考え、この年の2月深川市に依頼したところ快諾され、10本の枝と5月には約3mに成長していた苗木をプレゼントしてくれたのです。
苗木は学校の正門のすぐ横の庭園に移植され、10本の枝は町内の果樹園・吉田初美さんがハックナイン等の台木に接ぎ木して育て、その内の5本が校庭に移植されたという事です。
苗木で植えた木はその年の秋に10個程の実を付け、宇宙の旅から戻った毛利衛さんが同年10月に帰郷した折り、この内1個がプレゼントされたと逸話が残されております。
ニュートンの万有引力の発見から280年の後、その法則がリンゴを通して確かに証明された宇宙からの映像は、科学を平和利用している素晴らしさではないでしょうか。
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余市ワイン・余市ワイナリー
2011年、余市葡萄酒醸造所の敷地内におーぷんしました。
「余市ワイナリー」余市の「地ワイン」を飲み比べながら、お気に入りの1本を見つけられるスポットです。
ギャラリー・アトリエやショップ、レストランなど食とアートが融合した楽しさを、自然に囲まれたロケーションで満喫できます。
余市ワイン直営店ならではの品揃え、試飲も出来ますので、さまざまなワインを味見してみてから、お好みの一品をお選びいただけます。
北海道余市郡余市町黒川町7丁目に有る、柿崎商店で毎年恒例のイカ1箱購入しました。
創業約70年の余市で老舗の魚屋さんで~す。🐟🦑🐙
魚屋さんが営業する鮮度抜群な海の幸を破格で提供している柿崎商店海鮮工房も有りま~す。
旬の食材をふんだんに使った海鮮丼や刺身、焼き魚はどれも絶品で品揃えとリーズナブルさは完璧で~す。(^_^)v
ニッカウヰスキー北海道余市蒸溜所
竹鶴政孝は明治27年6月、広島県竹原市にあった造り酒屋の三男として生を受けました。
小さい頃はワンパクで8歳の時、自宅の階段から転げ落ちて鼻を強打し、七針も縫う大けがをしたのです。
ところが、これが何と国産スコッチウイスキーを世に送り出す前兆だったのですから、解らないものです。その上、生まれた時から人一倍、鼻の大きな赤ん坊で回りが驚いたくらいなのですから。
「このけがで鼻が通るようになって、人並み外れた大きな鼻、臭覚が生まれ、ウイスキー造りに役立った」と政孝氏は生前語っておられたそうです。
大正5年、大阪高工醸造科を卒業し、大阪摂津酒造に勤務しました。
当時、イギリスのウイスキーが日本市場に入り込み、ウイスキーに関しては我が国のものは焼酎に色を付けた程度のイミテーションだったのです。
気骨のある摂津酒造の社長、阿部喜兵衛の勧めによって大正7年3月、大勢の見送りを受けて横浜から船に乗ってアメリカ経由でイギリスへ旅立ちました。
「わざわざ日本からウイスキーの研究にやって来るとは奇特な若者」と、目を掛けてくれるイギリスの技術者にも恵まれ、ウイスキーの技術を習得して日本に帰国したのが大正10年9月、竹鶴は永遠を誓って結婚したゼシー・リタを伴っておりました。
3年間の留学で習得したういすきーに関する知識は、中々日本の酒造会社では受け入れて貰えず、摂津酒造から寿屋へ(現サントリー)そして昭和8年寿屋を退社し、かねがね目を付けていた余市でのウイスキー造りの準備に取り掛かりました。
小樽市忍路の海岸線の丘の上に有る、パン屋さんAigues Vives(エグ・ヴィヴ)
薪窯で焼くパンは、美味しいですよー😋😋😋
営業開始時間から行列が出来る本格パン屋さんです。