札幌ファクトリー「冬」です。【札幌市】
札幌ファクトリー「冬」です。
札幌ファクトリー
開拓使が明治9年(1867年)にビールづくりを始めてから、110年あまりの間、サッポロビールの第一製造所のあった土地が再開発されて、新しい街に生まれ変わりました。
それが「生活工房-サッポロファクトリー」です。ファクトリーというのは工場という意味ですが、ビール工場の跡地の広さは約4万㎡、北海道の都市再開発としては最も大きなもので、平成5年にオープンしました。高さ39㍍、幅34㍍、奥行84㍍の、広々とした丸いガラス屋根におおわれた、日本最大級のアトリウム、アイマックスシアターと呼ばれる巨大画面の映像劇場、最新ファッションから、お肉、お魚まである商業施設、ビヤホールはもちろん、さまざまなレストラン、ホテル、多目的ホール、写真博物館、そして銀行、郵便局と、生活工房の名にふさわしい、ひとつの街を形づくっています。
しかし、古いものがすべて捨てられてまるごと新しくなったのではなく、ビール工場のシンボルだった煙突や、赤レンガの歴史的な建物は広場に残されていますし、かつてビール樽を寝かせておいたトンネルが、ビアホールとして活用され、また、新しい建物のいたるところに、ビール工場時代の機械や道具が埋め込まれて、開拓時代の面影を見る事が出来ます。ここはもともとビールの醸造に使う地下水をくみ上げていたところですから、美味しい水が自慢で、レストランなど、施設内では今も水道水を使わず、この井戸水を使っています。
ここでさらにボーリングしたところ、温泉がわきました。温度は39.3度、弱アルカリ性ナトリウム塩化物泉で、神経痛や筋肉痛に効くといわれ、温泉施設「サッポロ-スプリングス」があります。このサッポロファクトリーのキャッチフレーズは「人と、物と、情報が出会う街、北の新しい暮らし」ですが、若者や観光客から夕食の食材を求める主婦まで、たくさんの人々で、早朝から深夜までにぎわう街となっています。このファクトリーのすぐ東側には、2代目北海道長官、永山武四郎が明治13年に建てた屋敷が大切に保存されています。
永山武四郎は鹿児島出身の武士で、戊辰戦争で活躍したあと北海道に来て屯田兵制度の基礎を作り、屯田兵育ての親といわれた人ですが、自分の部下に対し「お前達は北海道の土になれ。わしも北海道の土になる」といって、その決意を示すために自分のお金で、ここに屋敷を建てたものです。この建物やサッポロファクトリーの面した北3条通りは、開拓使通りと呼ばれております。
サッポロファクトリー
1876年(明治9年)に創業された日本人の手による初のビール工場「サッポロビール」の前身である開拓使麦酒醸造所だった跡地に、1993年(平成5年)にショッピング、アミューズメント、レストラン、ホテルなど、約160もの施設が集まり大型商業複合施設としてオープンしました。
2006年(平成18年)11月の改装により、スーパーマーケットやドラックストアなど生活に密着した店舗やインテリア、雑貨、カフェなどもオープンし、1ヵ所でゆっくりとした時間を過ごせます。
札幌市のあらまし
明治の始め、それまでの、蝦夷地という呼び名を、北海道に改めたころの札幌は、昼なお暗い、うっそうたる原始林で、クマやオオカミ、シカなどが住む、未開の大地でした。
それからかぞえて100有余年、今では御覧の様な大都市に発展し、北海道の政治・経済文化の中心地として繁栄を続けております。人口は約180万人、北海道全体の約3割を占め、東京・横浜・大阪・名古屋に次いで、5大都市の仲間入りしています。
また、昭和47年の冬季オリンピック以降は、国際舞台にも登場し、アメリカのポートランド・ドイツのミュンヘン・中国の瀋陽・ロシアのノボシビルスクと姉妹都市の縁をむすんだり、気候風土の似ている、北方圏諸国との文化交流も盛んに行っております。
札幌は、開拓当初から、壮大な都市計画のもとにつくられた街だけに、幅広い道路は碁盤の目に区切られ、いたるところに様々な種類の並木が植えられています。
また、北海道特有の、四季の移り変わりの中で、異国情緒を漂わせている建物も多くあります。
エルムの都、アカシアの街、詩の都まどとも呼ばれ、大通公園・時計台・羊ヶ丘・赤レンガの道庁旧本庁舎などが、訪れる人々の旅情をなぐさめています。また、冬の「さっぽろ雪まつり」も、今では一大ページェントとして、国内はもちろん、海外にも知られております。