小樽~長沼~新千歳空港フリープラン観光モデルコースです。
北海道札幌小樽観光貸切チャーター個人タクシー 小樽~長沼~新千歳空港観光モデルコース。
小樽港に、入港した客船🚢シルバーディスカバラーと自衛艦と小樽港の風景千歳空港、政府専用機と長沼町田園風景もうじき収穫です。
北海道米も品種改良を頻繁におこない今では、本州米に、負けない美味しいお米🍚が出来ています。😃✌
小樽のあらまし
明治のはじめ、札幌が北海道の中心に決まりますと、天然の良港だった小樽は、札幌への物資の陸揚げ港となり、やがて、石炭をはじめとする、北海道の物産の積み出し港となりました。
このため、明治13年には、小樽の手宮と札幌の間に、日本で3番目の鉄道が敷かれ、本州からの開拓移民もいったん小樽へ上陸し、ここから奥地へと向かったものでした。
また、明治38年、南樺太が、日本の領土となってからは、玄関口となった小樽は、樺太航路ができ、さらに第一次世界大戦のころには欧米航路も開かれて、港はいつも船で埋まっておりました。
銀行街が北海道のウォール街と呼ばれ、小樽の雑穀市場が、ヨーロッパの市場をゆるがすほど栄えました。
敗戦でカラフトを失って対岸貿易が減ったため発展のテンポは鈍りましたが、現在は、昔ながらのたたずまいを残す港町として、再び注目を集めることになりました。
小樽は坂の多い街で、家並みのあちこちから、青い海が顔をのぞかせています。
街を歩くと明治・大正のころを偲ばせる、運河や石造りの建物にぶつかりますが、それらの古いたたずまいの、運河や倉庫などは、きれいに整備され、レトロな街並みをつくっています。
千歳市観光案内です。
北海道の空の玄関と呼ばれていますが、あわせて、札幌と工業都市苫小牧の中間にあるところから、数多くの工場が建ち並んでおります。
又千歳市は、原始の姿そのままの支笏湖をはじめ、観光資源にもめぐまれていますが、人口の三分の一を自衛隊関係者が占めているなど、いろいろな顔を持っているマチでもあります。
むかしは、アイヌ語で「シコツ」(大きなくぼ地)と呼ばれておりましたが、このあたりにむかしは、鶴がたくさん生息していたところから、1805年(文化2年)に「鶴は千年」の千年をとって「千歳」というようになったそうです。
水田の話
水田、稲は、もともと南方の植物ですから、北国でも育つように、品種の改良や、栽培技術の研究などが行われて、北海道はいまでは、全国でも有数の米の生産量を誇っております。
北海道のお米と言えばかつては、ボソボソして、おいしくないと不評をかっていたお米も、農業試験場などの研究で味の良い品種が開発され、おおきく変わってきております。
「キタヒカリ」「ゆきひかり」「きらら397」「ほしのゆめ」などは、地元、北海道ばかりではなく、本州方面にも出荷されています。