
[キロロリゾート赤井川村観光タクシー]札幌小樽観光タクシーの[キロロリゾート赤井川村メープル街道観光案内]
2016-10-20 15:35:55 | キロロリゾート・赤井川村
キロロリゾート赤井川村観光ジャンボタクシー、キロロリゾート赤井川村観光タクシー高橋のキロロリゾート赤井川村メープル街道観光案内です。
キロロリゾート赤井川村メープル街道、北海道メープル街道(国道393号線)小樽市から赤井川村を抜けて倶知安まで続く国道ですが、別名メープル街道と呼ばれています。
その名の通り、秋には素晴らしい紅葉🍁が見られます。
それでは、今年の国道393号線メープル街道の紅葉🍁写真です。👀📷✨😃✌









赤井川村
何処をとっても故郷を偲ばせてくれる村のようです。
遠い幼い頃遊んだ山や川、山葡萄のたわわに実った房を手にして、口にした、甘酸っぱさや野で摘んだタンポポの髪飾り、川に入って幼い手ですくった川魚、まるでそんな光景が走馬灯のように思い出される風景に、感動される方が多いのではないでしょう。
赤井川村はのどかな大自然が訪れるお客様をこころ暖かく迎い入れてくれる村なのです。
かつて、北海道が未開の地と言われた明治15年、山口県の粟屋貞一、井関百合蔵が早くもこの界隈を探検し、明治21年には無届けで入植するものも現れました。
やがて明治26年、200万坪の土地の貸付けを受けた余市の林長ェ門他27名は、『余市開墾株式会社赤井川農場』を設立し、払い下げてもらった土地は会社の所有地とし、明治27年、ここに入村した者はこの会社の小作人としての扱いを受けたのでした。
この農場の責任者はこの村を始めて探検調査した粟屋貞一でした。
粟屋は明治14年山口県から入植者を引き連れて、既に現在の仁木町と余市町に至る毛利農場の支配人をしていた方で、会社は赤井川の農場開拓の全部を粟屋に委任したのです。
北海道の開拓の歴史は自然との闘いの歴史でした。
北海道にくるまで抱いていた希望の大地、狭い土地で百姓をしていた人々は、北海道へ行けばただで広い土地が貰えるという話にのって、北海道に開拓に入ったのです。
ここに来るまでは、原始林や原野、気候風土、開拓の厳しさ等、想像も付かなかったことでしょう。
本州各地、そして四国、九州からの入植者に取って、夢の大地は突如として地獄にかわったのです。
見ると聞くのでは大違い、道もなく人もなく生活する家すらもなく、ただで貰える土地と思った土地は全くの未開の土地だったのです。
しかし、故郷を後にして遥々やってきたこの地で暮らすより仕方のない人々は、何時しかこの地を第二の故郷と心に決めて、大地と闘い、蚊やブヨに悩まされ、熊の出没に不安な日々を送りながら、次々と赤井川の各所に入植する人々と共に、開墾の鍬を振り続け、今日の基礎を築いたのです。
こうして先人の苦闘の日々が続きましたが、やがて明治32年(1899年)、現在の仁木町より分村し、赤井川村が独り立ちする日がやってきました。
赤井川村には赤井川、白井川、青井川等の色の名の付いた川が流れており、これらは川の水の色から名付けられ、余市川の支流となっております。
村の行政の中心は赤井川流域である事から『赤井川村』としております。
赤井川とはアイヌ語で『フレ・ぺツ』といい、『赤い川』の意味です。
村の周辺はほとんど500m~1000m程の山々に囲まれており、村と境界を持つ市町村は札幌市を始め、小樽市、余市町、仁木町、倶知安町、京極町等で、村の地形は完全に盆地を形成しており、北海道唯一のカルデラ盆地で御座います。
北海道の中心都市『札幌市』とは山一つ隔てたところに位置しますが、赤井川村の人口は約1100人、面積は約280平方km、その内約90%は森林や原野が占めております。
かつては、金・銀・銅など鉱物に恵まれ、明治鉱山「昭和30年休止」、中の沢鉱山「昭和35年休止」、松倉鉱山「昭和46年休止」、轟鉱山「昭和49年休止」など鉱山が多く、赤井川の発展に寄与してまいりました。
しかし、時は過ぎ時代は変わった現在、赤井川村の基幹産業は農業で、その他、林業、畜産業そして今、観光「赤井川村」として大きく飛躍しようとしております。
平成3年12月にオープン致しました『キロロリゾート』はオープン以来多くの観光客で賑わっており、国道393号の整備に伴って、沿線の各所に個性あるドライブインや宿泊施設が整い、新しい観光ルートとして人気を呼んでおります。
















