
[余市観光タクシー]札幌小樽観光タクシーの[ニッカウヰスキー余市蒸留所観光案内]
余市観光ジャンボタクシー、余市観光タクシー高橋のニッカウヰスキー余市蒸留所観光案内です。
余市町に有る、ニッカウヰスキー余市蒸留所に来ています。
朝一番なので少しすいてます。😃✌🚖🚕🚖
ニッカウヰスキー余市蒸留所、単式蒸留器(ポットスチル)が並ぶ蒸留棟です。
ここ余市では昔ながらの「石炭直火蒸留」が行われています。
「石炭直火蒸留」は温度調節が難しく、熟練の技が必要ですが、その分芳ばしい香りと力強い味を持ったウィスキーが出来ます。
モルトウィスキーは、単式蒸留(ポットスチル)で2回蒸留を行い、アルコールを取り出します。
こうして出来たウィスキーの原酒は、アルコール度数65%程度で無色透明ですが樽に詰め、貯蔵、熟成することで香味は、まろやかになりウィスキー特有の琥珀色へと変わってまいります。
単式蒸留器(ポットスチル)の奥から3番目の小さな釜は創立当時に使用していた釜です。
(釜の上部にしめております注連縄は、創業者竹鶴政孝の実家が造り酒屋を営んでおりましたので、その風習を取り入れ良いウィスキーが出来る様にとしめております。)
なお、石炭直火炊蒸留を行っているのは、世界の中でも余市蒸留所だけです。
余市蒸留所では、今でも伝統的な製法を守り続けています。





竹鶴政孝は明治27年6月、広島県竹原市にあった造り酒屋の三男として生を受けました。小さい頃はワンパクで8歳の時、自宅の階段から転げ落ちて鼻を強打し、七針も縫う大けがをしたのです。ところが、これが何と国産スコッチウイスキーを世に送り出す前兆だったのですから、解らないものです。その上、生まれた時から人一倍、鼻の大きな赤ん坊で回りが驚いたくらいなのですから。
「このけがで鼻が通るようになって、人並み外れた大きな鼻、臭覚が生まれ、ウイスキー造りに役立った」と政孝氏は生前語っておられたそうです。
大正5年、大阪高工醸造科を卒業し、大阪摂津酒造に勤務しました。当時、イギリスのウイスキーが日本市場に入り込み、ウイスキーに関しては我が国のものは焼酎に色を付けた程度のイミテーションだったのです。気骨のある摂津酒造の社長、阿部喜兵衛の勧めによって大正7年3月、大勢の見送りを受けて横浜から船に乗ってアメリカ経由でイギリスへ旅立ちました。
「わざわざ日本からウイスキーの研究にやって来るとは奇特な若者」と、目を掛けてくれるイギリスの技術者にも恵まれ、ウイスキーの技術を習得して日本に帰国したのが大正10年9月、竹鶴は永遠を誓って結婚したゼシー・リタを伴っておりました。
3年間の留学で習得したういすきーに関する知識は、中々日本の酒造会社では受け入れて貰えず、摂津酒造から寿屋へ(現サントリー)そして昭和8年寿屋を退社し、かねがね目を付けていた余市でのウイスキー造りの準備に取り掛かりました。





