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ふらのワインハウスです。

[富良野観光タクシー]札幌小樽観光タクシーの[富良野・ワインハウス観光タクシー]

2016-07-11 09:34:23 | 富良野市

富良野市に有る

ワインハウス🍷です。

昨日ランチを食べに行ったんですが、日曜日で凄い混雑してました。

さすがに大人気店ですね😨私達も30分ほど待って入店しました。🚕🚕


富良野市

富良野市は北海道のほぼ中央に位置し、西に屏風を張り巡らしたように千mを超える夕張山系の芦別岳連峰が横たわり、東に北海道の屋根・大雪山の十勝岳連峰が両手を大きく広げて富良野盆地を見下ろしています。

山に囲まれ、盆地に悠々と流れる川、そこに広がる街並みはまことに美しく、「日本のスイス」と呼ばれ親しまれています。北海道特有の四季の移り変わりの中で、それぞれの四季を敏感に受け止め、都会では想像も付かない大自然の恵みと厳しさの中に、生活の全てを託しながら、約2万2千人の人々が暮らしています。

富良野は夏は暑く30度を超える事も少なくありません。反対に冬はと申しますと盆地特有の冷え込みがきつく、零下30度を超えるほどに気温が下がります。夏冬の寒暖の差は60度と大きく、ここに住む人達の生活に一抹の不安を抱く方もおいでかと思いますが、しかし、「住めば都」とはよく言ったもので、むしろそれなりに快適な暮らしを楽しんでいるのです。

この町の歴史をひも解きますと、江戸末期の安政4年(1857年)、当時の箱館奉行の命令を受けて石狩役所の足軽・松田市太郎が、石狩川上流域を調査するため、十勝岳に登り、西方に富良野盆地を発見したことに始まります。翌年の5年、幕末の探検家・松浦武四郎が富良野岳の中腹にあたる原始ヶ原を通過して十勝の国に向かう時、眼下に見える富良野盆地を眺望して「東西およそ12~13里、南北5~6里の間、目に遮るものない原野なり、一封内をなし地味山に囲まる故、暖にして内地に比して相応の一ヶ国と思わせる」と、十勝日誌に記録しています。

時は明治10年、札幌農学校の佐藤昌介(後の初代北大学長)一行6人が空知川を探検した折、清水山に登り富良野原野を見定めています。明治19年には道庁技師・内田瀞が富良野盆地に入り殖民地の選定をし、この時、地名を「フラノ」と記録したそうです。

※「フラノ」とはアイヌ語で「フラ・ヌ・イ」(臭い・もつ・所)が変化して富良野と命名されたものです。

その後も開拓はされず、ようやく明治30年になって現在の扇山に富良野の開拓の祖、中村千幹が妻と小作3人を伴って入植したのが、富良野市の開拓の始まりでした。当時は人口の少ない未開地だった富良野地区は空知の歌志内村の戸長役場に籍が置かれていました。しかし、交通の便が悪く、明治32年5月、富良野村(現在の上富良野町、中富良野町、富良野市、南富良野町を含めて)は空知支庁から上川支庁の管轄に編入され、現在の上富良野町に富良野村の中心として戸長役場が設置されました。明治33年に旭川から下富良野間に鉄道が開通(現・富良野線)し、入植者も相次ぎ、駅を中心に旅館、商店、食堂など次々と立ち並び、徐々に市街地が形成されて行きました。

明治36年、移住民の増加や開拓が進んだことから、富良野村を分割し、現在の富良野市と南富良野町が下富良野村、上富良野町と中富良野町が上富良野村となりました。

大正2年、滝川から下富良野村間の鉄道が開通(現・根室本線)し、交通の便が良くなるにしたがって、入植者が相次ぎ開墾地は広がっていきました。

ふらのワイン工場・ハウス

ふらのワインの工場は年間60万人の観光客が訪れるそうで、工場見学の後、試飲もお楽しみ頂けます。

館内はワインの展示を始め、みやげものなどを取りそろえている直売店が設けられており、繁盛しております。

富良野ワインは現在8種類で、その内「ふらのワインロゼ」は市民還元用として、製造しています。

「シャトーふらの」の赤がありますが、富良野近隣の山に自生している山ぶどうを使っているワインで、山ぶどう特有の野趣味にあふれ、香り豊かで個性的なワインとして高く評価されています。

(ふらのワインの販売は道内に限っており、道外では販売されておりません。)


富良野でワインを手掛けたのは、昭和47年9月の事で、ぶどう果樹研究所を設け、ワインの研究を始めたのです。ぶどう栽培やワインの試験醸造が繰り返される中、酒造免許が交付され、昭和51年10月に、地下1階、地上2階建てのワイン工場が、総工費約2億円で完成し、本格的なワインづくりが始まりました。

当時、すでに十勝の池田町が町営のワイン工場を建設し、全国にワインブームをもたらす快挙を成し遂げ、今も語り草になっています。

富良野も池田に続け、追い越せの勢いで、ワインの原料であるぶどう作りと、ワインを醸造する環境を重要視して、本格的なワイン工場を建設しました。

その後、国体のスキー大会、ワールドカップ大会などの行事があるたびに、記念販売をやっては選手や役員に大好評を得ていたそうです。

時は過ぎ、昭和53年1月から待望の市販を始める事になりました。

ワイン事業は順調に進み、昭和54年4月にはワインハウスがオープンしました。

こうして必要な施設や設備を整え、レッド・ホワイト・ロゼをはじめ、次々とふらのワインならではのオリジナルワインが市場に出回り、昭和57年には世界ワインコンクールで赤、白ともに金賞に輝き、良質のワインとして世界的にも認められ、富良野市の一村一品運動の先駆けとなりました。

現在は年間生産量は60万本で、北海道限定の販売になっているのが特徴です。

今だ続くワインブームを見越して、ふらのワインではオーク樽熟成のワイン生産量を3倍に増やそうと、ワイン工場の樽熟成庫の増設を計っています。

4~5年後には新銘柄を含めて、豊かな樽熟成ワインがお楽しみ頂けるようです。

ワインの本場であるヨーロッパでは、熟成用タンクはステンレス製やグラスライニングが主だそうですが、ここ「ふらのワイン」では熟成には木樽(フランス産のオークを使用)が使われているのが特徴です。

木樽は樽の木目を通して入る空気を吸うことにより、「芳香な香り」、「もろやかな口当たり」が加わって、素晴らしいワインが出来るそうで、赤は収穫から3年、白は2年寝かせるのが原則としているようです。

※グラスライニング(外は鋼板、内側はガラス張りのものをいう)

いいワインの質と性格を決めるのは、まず「ぶどうの品質」と「土地」「気候」、そして当然ながら「醸造」「熟成の技術」そのものです。

なんでもそうですが、好奇心、探求心、研究心をつねに持ってよく手をかけ、目をかける事に尽きるようです。

ところで、ドイツのライン川沿いは、ブドウの栽培地としてよく知られています。

ブドウ栽培地としては北限の北緯50度線上にあり、厳しい気象条件のもと、ライン川などの川面の太陽熱の反射、南向きの急斜面による日だまりを利用して、ブドウづくりが行われています。

ブドウにとっては日照時間は、最良の成熟状態にする為の絶対条件であり、水分をたっぷり含んだ川の辺りの環境は、甘みのあるよい品質のブドウを生産する事が出来るそうで、ライン川の辺りに見事に続くブドウ園を見れば、なるほどとうなづく事が出来ます。

富良野は冬、マイナス30度にも気温が下がります。

しかし、雪が多いことで、凍害を防ぐ事が出来、寒さからブドウの木を守ってくれるという好条件にあります。

また、夏は盆地上にある事から、日中30度を超える暑さとなり、朝晩の冷涼な空気は葡萄により一層の甘みをもたらします。

富良野はこんな気象条件から、品質の良い葡萄の産地として、北海道にある8ヵ所のワイナリーの仲間入りをしています。

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