OTARU Sightseeing TAXI 北海道小樽観光個人タクシーです。
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旧日本郵船小樽支店
旧日本銀行小樽支店
旧日本郵船小樽支店と旧日本銀行小樽支店は、西洋建築の手法を本格的に用いた明治期の我が国を代表する建物です。
設計は西欧の建築を初めて工部大学校造家学科で学んだ佐立七次朗(日本郵船小樽支店)と辰野金吾(日本銀行小樽支店、工事顧問)です。
造家学科の第一期卒業生はわずか4人だけであり、2人のほかには曾禰達蔵(三井銀行小樽支店)と片山東熊がいます。
片山を除く3人の設計した建物が現在も残っているのは小樽と東京のみに限られていることから、小樽は明治期の本格的な洋風建築を肌で感じられる貴重なまちと言えます。
日本郵船の本屋は外壁を石で造り(石造)、2階の貴賓室と会議室を華やかなデザインのシャンデリアや壁紙(金唐皮紙)で装飾しています。
日本銀行は壁をレンガで造り、玄関ホールと営業室の境に柱を使わない大空間が見所です。柱を取り除いたのは、小屋組に鉄骨(八幡製鉄所で製造)を使用したことで旧来の木造よりも軽量になったためです。
明治期、日本銀行の主要な建物はレンガや石で建てられていました。
本店が最初に建築され、西部(門司)支店、大阪支店、名古屋支店、京都出張所そして小樽支店、福島支店へと続きます。明治45年(1912)に完成した小樽支店の建築費は37万円を要し、本店と大阪支店に次ぐ3番目でした。日露戦争が終結し、南樺太へ現金を輸送する拠点となった時期と重なります。日本銀行小樽支店の設計者は、辰野金吾(顧問)、長野宇平治(技師長)、岡田信一朗(嘱託)の3人で、長野が実質の設計を担当しました。
旧三井銀行小樽支店
北海道の方言
北海道の方言についてお話いたしましょう。
「言葉はお国の手形」とかいいますが、言葉には、生まれ育った土地のナマリや特徴があり、その人の故郷がわかるようです。
北海道には明治の初め、東北はもちろん、日本各地から大勢の人たちが移り住み、それぞれ出身地の言葉で話していました。
しかし、言葉がちがうと気持ちの通じないことも多く、月日を重ねるごとに、次第にお国言葉は姿を消して、標準語に近い、北海道の共通ごが生まれたのです。
標準語に近いとは言っても、北海道の風土に育った言葉も残っておりますので、いくつかご紹介致します。
代表的なものに「シバレル」という言葉があります。
「今朝はシバレルねー」とか「水道がシバレル」などと、きびしい寒さのことを表現します。
気温がマイナス10度~20度にもなりますと、「寒い」とか「凍る」などといった言葉ではいいつくせないのです。
また、「気持ちが良い」とか「ゆったりする」という意味で「アズマシ」という言葉があります。
旅行などから戻ってきて「あぁ我家はアズマシイね」とか、乗り物に乗ったとき、気づかいをせずに、スムーズに座れた場合には「アズマシク座れるね」などといいます。
そのほか、夢中になって何かを行うことを「ハッチャキになる」、物を交換することを「バクル」、徒競走などの最下位を「ゲレッパ」、捨てるを「なげる」など、本州のお客様にはわからない言葉も結構あるようです。
言葉は同じですが、意味や使い方がちがうものもあります。
北海道では疲れたときに「あぁ、コワイ」といいますし、手袋をハメルのを「手袋をハク」といいます。
このほか、シシャモ(柳葉魚)、マキリ(小刀)、トッカリ(アザラシ)、チップ(ヒメマス)など、アイヌ語がそのまま使われたり、明治の初め、外国から入ってきた「プラオ」「サイロ」などの外来語が今なお残っております。