観光貸切TAXI プラン ルート モデルコース
小樽駅or小樽市内ホテル~高島岬~旧青山別邸~旧日本郵船~北運河~田中酒造亀甲蔵~旧日本銀行(金融資料館)~小学生の時裕次郎と慎太郎が登った木~富岡カトリック教会~地獄坂~旭展望台~船見坂~小樽駅or小樽市内ホテルor北一硝子orオルゴール堂
(有料道路利用料金 駐車場料金 施設体験見学使用料金等含まれておりません)
料金
小樽市内ゆったり4時間観光Aコース
普通車タクシーお客様4名まで乗車可能 1時間6300円×4時間=25200円
ジャンボタクシーお客様9名まで乗車可能 1時間8940円×4時間=35760円
モデルコースです。時間内コース変更可能です。
小樽の歴史
ここ小樽に、和人が姿を見せるようになったのは、今から320年ほど前の寛文9年(1669年)松前藩(氏家氏の知行場所)と、アイヌの人達が交易を始めてからの事です。
しかし、松前藩に雇われた商人や、ニシン漁の人達が、おおぜいやって来るようになったのは、それから100年も後のことで、しかも、当時は、和人の定住を認めていませんでしたので、秋になると、みんな引き上げてしまい、もとの静かなアイヌコタンに戻るという状態でした。
和人の定住が許されたのは安政3年(1856年)明治維新のわずか12年前です。以来、地理的条件にもめぐまれて港として、発展をしてきました。
小樽市祝津観光案内
小樽市祝津、小樽観光を代表する小樽の景勝地で、北海道の文化財に指定される小樽市祝津ニシン御殿をはじめ、ロマンチックな小樽市祝津日和山灯台、自然の海をそのまま生かした小樽市祝津水族館、白いヨットの浮かぶ小樽市祝津マリーナなどがあります。
小樽市祝津ニシン御殿は、以前、積丹半島の泊村にあった大網元、田中家の住宅です。
白い壁と、黒い柱の美しいコントラスト、大屋根中央の「煙だし」など、まるで天主閣のようです。
また、一歩中へ入ると、一抱えもあるような、角材がふんだんに使われていて、ニシン全盛の頃のようすがしのばれます。ニシン御殿のうしろにある、
小樽市祝津日和山灯台は、映画「喜びも悲しみも幾年月」のラストシーンに登場して、全国に紹介された灯台です。
歌の一節のように、「沖行く船の、無事を祈って」立っています。
小樽市祝津の美しい海岸をそのまま生かして建てられた水族館には、2万匹あまりの魚が悠々と泳いでいます。
トドのダイビング、イルカやアザラシ・オタリアのショー、可愛いラッコなども人気を集めて、シーズンには「祝津銀座」といわれるほど、大勢の人達で賑わっております。
小樽市祝津日和山灯台、明治16年に建てられた古い灯台で、北海道では根室のノサップ灯台につぐ2番目のものです。
最初は6角形の木造で、白一色でしたが、現在は御覧のとうり、赤白の近代的な姿に生まれ変わり、15万カンデラの光が、35㎞の海を照らしております。
小樽市祝津ニシン御殿、以前、積丹半島西海岸の泊村にあったニシン場の親方、田中家の番屋で、昭和33年ここに移されました。
「番屋とは」、北海道独特の呼び名で、もともとは、松前藩時代の漁場の支配所で、運上屋の出先機関でしたが、のちに、ニシン漁を行う住居を指すようになりました。
そして、この番屋が中心になって、網倉や倉庫が幾棟も建っていたのです。
ところで、この田中家は、積丹半島屈指の大親方で、たくさんの漁場を経営し、漁獲高は、じつに1万石(7500t・4000万匹)を誇っていました。
全盛期には、120人の漁夫達が寝起きしていたそうです。
その田中家が、明治24年から、7年がかりでつくりあげたのがこの建物で、ほとんどが、北海道産のタモ、トドマツ、センなどの原木、3000石(1石は0.28㎥)を使っております。
これを、仮に15坪のマイホームを建てるとすると、40戸は出来るということです。
大屋根の中央の「煙だし」も、天主閣のような形をしていますが、中に入って、吹き抜けの天井を仰ぎますと、1尺から2尺(30cm~60cm)もある荒削りの角材が、ふんだんに使われていて、ニシン場の親方が、いかに裕福であったかが、おわかりいただけるかと思います。
小樽市祝津に有る、小樽旧青山別邸、青山家は明治・大正を通じ、ニシン漁で巨万の富を築き上げました。
その三代目娘、政恵が十七歳の時、酒田市にある本間邸に魅せられて大正6年から6年半余りの歳月をかけ建てた別荘が小樽旧青山別邸です。
平成22年、国より登録有形文化財に指定されました。
約1500坪の敷地内に木造2階建てで建坪は190坪。
家屋の中は6畳~15畳の部屋が18室、それぞれに趣が異なり、金に糸目をつけず建てられた豪邸です。
祝津には、ニシンの全盛期をしのばせる建物が、いくつか残っておりますが、青山家別邸は、その中でも代表的なものの1つです。
カワラ屋根の豪壮な建物で、外観のいたるところに木彫りがほどこされ、内部も「北の美術豪邸」と呼ばれるにふさわしい、すばらしいつくりになっております。
なお、青山家は、安政6(1859)年からの網元ですが、最盛期のころには、漁場の数10、漁船百数十、漁夫300人をかかえていたそうです。
小樽市色内に有る、旧日本郵船小樽支店、明治39年につくられたもので、日本銀行小樽支店とともに、小樽の明治洋風建築の双璧といわれ、規模こそあまり大きくありませんが、正面は、バルコニー付の玄関を中心にして、左右対照になっていて、軒下の石の装飾も、大変素晴らしものです。
また、内部も、彫刻をめぐらせた大きな丸い柱や、(大会議室の)豪華なシャンデリア、(貴賓室の)大理石のマントルピースなど、当時の繁栄ぶりを物語っています。
なお、この建物は、完成直後の明治39年11月、日本とロシアの間で、南樺太の国境を定める会議(日露国境画定会議)が開かれ、まさに歴史の檜舞台でした。
この建物の設計者は佐立七次郎博士で、現・東京大学工学部の前身、工部大学校造家学科の1期生です。
ところでこの1期生は、佐立七次郎、辰野金吾、曽根達蔵、片山東熊のわずか4人ですが、佐立は、明治39年完成の日本郵船小樽支店、辰野は、明治45年完成の日本銀行小樽支店、曽根は、昭和2年完成の三井銀行小樽支店の設計をおこなっています。
日本建築の土台をつくったと思われる4人のうち、3人までが小樽で腕を振るったことは、興味ぶかいことです。
近代小樽港の発展
埋め立ての拡大と埋め立て式運河(小樽運河)の建設
小樽港は天然の良港といえども山が迫っており、海岸に平坦な土地はほとんどありませんでした。
そのため、荷物の積み降ろしを容易にし、荷物を保管する倉庫などを建てるために、海陸連絡の設備として埋め立てが積極的行われました。
明治22年(1889年)までに勝納川から手宮桟橋に至る海岸で水深の浅いところを中心に、民間によっておよそ11万㎡の埋め立て地が出来ていました。
そして、防波堤建設が決まり小樽港が北海道を代表する港として位置づけられたことにより、以前にも増して各個人や企業が条件の良い所の埋め立てを願い出るようになりました。
しかし、設計変更が繰り返され、資金難などもあり着工は大幅に遅れます。
防波堤の建設が進む一方で、港を活用するために必要な施設の建設はなかなか進まなかったのです。
明治42年(1909年)、欧米視察から帰国した広井勇は、取扱貨物の種類、荷造り方法などから、さしあたって埠頭式によって、大型の船が直接岸壁に接岸するよりも、運河式によって艀を利用する方が便利であるとの意見を出しました。
そのこともあり、当初の埠頭岸壁式から埋め立て運河方式へ設計変更がなされ、速成派、延期派、埠頭派など意見が対立しました。
さらに2回目の設計変更がなされ、着工まで時間がかかることとなりました。
検討が始まってから実に18年も経過した大正3年(1914年)になり、埋め立て運河方式で着工することになりました。
埋め立て地の造成と運河の建設は、小樽区(市)営第一期修築工事として、およそ10年ほどかかり、大正12年(1923年)に完成します。
手宮川から立岩に至る沿岸距離1455mの水面部分が埋め立てられ、長さ1324m、幅40m、水深2m40cmの埋め立て式の小樽運河が建設されたのです。
この運河岸壁には、100トン積みの艀40隻が同時に係留でき、小樽運河周辺の埋め立て地約10万8千㎡には倉庫が建ち並ぶこととなりました。
ハシケの荷役
明治、大正時代にかけ、小樽港の貨物の荷役はハシケによって行われていました。
ハシケ荷役に従事した港湾労務者は、沖仲仕、陸仲仕、(陸方ともいう)、ハシケ人夫、倉仲仕などに分けられました。
沖仲仕は、停泊した本船から貨物をハシケに下したり、逆にハシケから船に積み込む作業です。
10人から15人のグループで行いましたが、ウインチで釣り上げた貨物が落下したりして、危険が伴う仕事だけに「口も荒いが気も荒い」気風で、港湾労働者の花形でした。
貨物を積んだハシケは引き船に引っ張られ、運河に入ります。
ハシケと岸の間に歩み板が渡され、ハシケ人夫が担がせてくれた荷物を陸仲仕が倉庫へ運びいれます。
倉庫からハシケに荷物を運ぶ時も、倉仲仕に担がせてもらいます。
荷物を運ぶだけの単純な仕事とはいえ、力がなければ勤まりません。
米2表(1俵60kg)ぐらい軽々と担げないようなら、一人前の扱いをされませんでした。
これらの労働者は「定夫」と呼ばれる業者の常雇いと、朝早く波止場近くに集まって臨時に仕事をもらう者とがいました。
臨時雇用者は沖仲仕とハシケ人夫を「ゴモ」、陸仲仕、倉仲仕を「割り込み」といいました。
小樽市色内に有る、旧日本銀行小樽支店、小樽は歴史の重みを感じさせる建物が多く、ハウスウォッチングの楽しみある街並みです。
旧日本銀行小樽支店は小樽に残っている、明治洋風建築を代表するものの1つで、どっしりとした土台、ぶあつい石の壁、そしてルネッサンス・スタイルの建物は、西洋の古いお城を思わせます。
壁の凹凸や、軒下に見られる石の装飾、奥深い玄関や長い窓、それお守るように立つ柱など、どれ一つ取り上げても、素晴らしいデザインですが、とくに、ドーム付き屋根が魅力といわれております。
この建物は明治45(1912)年レンガ造りでつくられたもので、設計者は元の日本銀行本店や、赤レンガの東京駅をつくった辰野金吾氏です。
小樽市信香町に有る、小樽田中酒造亀甲蔵、小樽旧岡崎倉庫、岡崎謙、明治10(1877)年佐渡生まれ。
東京英和学校、国民英和学校、東京高等商業学校(一橋大学)で学び、明治32(1899)年に米、荒物、雑穀、倉庫業の家業を継いでいます。
区制時代には区会議員、市政時代には市会議員、昭和2(1927)年には議長になっています。
前田家のおかかえ能楽師であった波吉宮門に能を学び能を愛していました。
自費で能舞台を自宅に普請するほど文化にも造詣が深かったようです。
能楽堂は市に寄贈され、公会堂の一角に建っています。
また、現在田中酒造亀甲蔵は明治39(1906)年に建てられた旧岡崎倉庫です。
酒と水、1升(1.8ℓ)の酒をつくるには10升の水を使うといわれるように、酒の10倍以上の水が様々な段階で必要です。「洗米」米を洗う水、「浸漬」米を適度に潤す水、「蒸米」米を蒸気で蒸す水、「仕込水」米と麹とを一緒にタンクに入れる水、「割水」度数調整のための水といったほとんど全てのプロセスで水を使用します。
小樽が自慢できる味を環境として助けてきたのは、まさに小樽の水に他なりません。
田中酒造亀甲蔵、明治32(1899)年に創業した田中酒造(株)が平成8(1996)年に設置した酒造工場と見学施設です。10種類以上のお酒が試飲できるミュージアムです。
寶川 曲イ 田中酒造株式会社
(本店)小樽市色内3丁目2の5
(亀甲蔵)小樽市信香町2の2
1899年に初代・田中市太郎氏が創業した田中酒造です。
「寶川(たからがわ)」の銘柄で知られ、最近では小樽の新しい観光スポットそいてひときわ注目を浴びております。
南小樽駅に近い亀甲蔵は、明治後期の石倉庫群として、小樽市の歴史的建造物にも指定されています。
四季醸造ができるこの蔵では、醸造工程をガラス越しに見学出来るはほか、直売コーナーには「寶川」の帆をかけた北前船をシンボルに、日本酒やワインなどがずらりと並びます。
見せる四季蔵として、製造直販スタイルにこだわる4代目当主・田中一良さんの気追が伝わってきます。
小樽市富岡に有る、小樽富岡カトリック教会、昭和4年に、ドイツ人宣教師の設計・指導で建てられた、小樽カトリック富岡教会です。
ツタにおおわれた天主堂、ステンドグラスをはめ込んだ飾り窓、アーチ型に石を組んだ玄関など、ロマンチックな香りただよう教会です。
なお、このあたりは、亡き石原裕次郎さんが(3歳~8歳までの)少年時代をすごしたところです。
となりの写真は小樽公園です。
小樽公園は、小高い丘の上につくられた、緑の多い公園で、北海道でただ一つの能楽堂をはじめ、市民会館や体育館、図書館・公会堂・野球場などが点在します。
また、15種類7000本のツツジが植えられていて、花の季節は、目も覚めるばかりの美しさです。
このツツジは、小樽市の「市の花」に選ばれていますが、庭木が「市の花」になっている珍しい例です。
小樽の気象と四季
小樽市は、北海道西海岸のほぼ中央に位置し、海・山・坂など変化に富み、三方を山に囲まれた自然豊かな天然の良港を有する個性的なまちです。
気候は、北海道の中では寒暖の差が小さい海洋性気候で、住みやすく、春はハイキング、夏は海水浴、秋は紅葉、冬はスキーと四季を通じて楽しめ、また札幌・ニセコ・積丹にも近く、自然環境に恵まれたまちです。
小樽の気候の特徴
小樽は海に面しているので気温の差は小さく、冬は内陸に比べて気温が高くなっています。
年平均気温は9度前後、年間降水量は1200mm~1400mmです。
しかし冬は北西の風が吹いたり、石狩湾小低気圧が発生すると、近隣町村に比べ大雪や吹雪になったりすることもあります。
積雪も2月には1mを越える年もあります。
台風の影響は比較的少ない地域です。
夏の台風シーズンでは日本海を北上する台風がまれに沿岸に上陸することがありますが、小樽付近ではその勢力がかなり弱まって来ることが多いです。
しかし平成16年(2004年)には大型の台風が後志地方を直撃し近隣の農家や建物に大きな被害がでました。
小樽は冬の大雪を除けば地震も少なく、全般的におだやかな自然環境の地域といえます。
〈春〉4月~6月
4月上旬は雪解けで足元が悪い状態ですが、4月後半からは春本番を迎え花が一斉に咲きはじめます。
本州では花の咲く順番がある程度決まっていますが、北海道ではこの時期に梅も桜も同時に咲くことは珍しいことではありません。
さらにチューリップやスイセンなど花々も次々と咲きます。
本州では見られない光景のひとつがこの時期です。
〈夏〉7月~8月
6月下旬から7月上旬に小樽では海開きが行われ、短い海水浴シーズンの到来です。
年間の最高気温もこの頃、30度を超える日があります。
海水浴はお盆の8月15日位までが一般的です。
本州は学校の夏休みが8月末までですが、北海道は夏休みが短いことと、お盆を過ぎると急に涼しくなったり、波が出たりすることで海水浴シーズンが短いのです。
〈秋〉9月~10月
9月になると朝晩は涼しくなります。
しかし近年は温暖化の現象か暑い日が続く年もあります。
10月中旬になると紅葉がはじまります。
市内では朝里峠や毛無山の紅葉が絶景ですが、小樽公園やなえぼ公園も見事です。
近郊ではニセコや積丹方面も美しい紅葉で有名です。
また10月下旬には初雪の季節となります。毛無山や天狗山の頂上が白くなると、いよいよ冬の到来です。
〈冬〉11月~3月
例年、11月の下旬から12月上旬には根雪となります。
年内は比較的積雪は少なめですが1月、2月はドカ雪となり、吹雪の日も多くなります。小樽は古い建物が多い為、雪の重みから建物を守るため、屋根の雪降ろしを行います。
天気の良い日曜日などは、あちこちで一斉に屋根の雪降ろしが行われます。
冬の風物詩のひとつです。
3月、彼岸の頃から雪解けがはじまります。